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法友・宏林晃信師を追悼する

2022年1月14日は、宏林(旧姓・堀)晃信師の1周忌でした。

51年の人生をまさに走り抜けた一生でした。

彼を偲んで追悼ブログを書きます。

亡くなる4~5年前は、週に1度は電話でお互いの近況報告をしていました。

彼が龍大の大学院、布教使、特別法務員を取得した後、、、

東京の丸の内(東京海上ビル)で毎日一緒に働いていたのが、ついこの間ようです。

↑奥さま・寿子(ひさこ)さんからの2021年年末の挨拶状。

 

 

⇅西本願寺『お坊さんがゆく』では、100本近くの動画配信⇅

 本山の境内を用事で歩いていると

 「本物だ~!」と子供に言われたりしたそうです。

 すると、、、

 「いえ、ニセモノです」

 と、応えていたそうです。

 彼らしい受け答えでした、、、

 今でも、いつでも見られます。

  お坊さんリボ―ターが追跡!

―本願寺ウェブブロードキャスト―本願寺公式動画・音声配信サイト―

(hongwanji.or.jp)

 

 

 

 

   ↑熊本水俣(実家)弟さんのコラム↑

     いつも、大変にまわりに気を遣う人でした、、、

 

『伝わる思い』

  堀 浄信(光明童園園長『ひかっり子新聞』202211日号)

 

私事で恐縮 で す が 、 昨 年 1 月 、 尼 崎 で お 寺 の 住 職 を し て い た 兄 が 、 病 気 に よ り 往 生 の 素 懐 を 遂 げ ま し た 。 学 生 時 代 、 生 徒 会 長 や 野 球 部 の キ ャ プ テ ン を 担 い 、 そ の 後 、 布 教 使 と し て 全 国 を 飛 び 回り 仏 様 の み 教 え を 精 一杯 伝 え 続 け た 生 涯 で し た 。 常 に 周 り を 気 追 い 、 笑 顔 と 思 い や り を 絶 や さ ず 、 多 く の 人 に 慕 わ れ て い た よ う で す 。 そ ん な 兄 に 、 幼 少 の 頃 厳 し く 叱 ら れ た こ と が あ り ま す 。 あ る 日 、 母 が ア イ ス を 買 っ て き て く れ ま し た 。 嬉 し く て た ま ら な い 私 は 、 境 内 (園 庭 ) で 園 児 と 遊 ん で い た 兄 に 「兄 ち ゃ ん 、 お 母 さ ん が ア イ ス 買 っ て き て く れ た ぞ 」 と 大 声 で 叫 び ま し た 。 す る と 兄 は 、 怖 い 顔 で 近 寄 っ て き て 、 「園 の 子 が う ら や ま し が る ど が ! 」 と 私 を 叱 り つ け ま し た 。 当 時 6 歳 位 、 小 さ い な が ら に 、 親 と 暮 ら せ な い 園 児 た ち の 寂 し さ を 思 い や って いた の で し ょ う 。 11月 に 、 兄 の 奥 様 か ら 連 絡 がありました。

 

生前『園の子供たちのために何かしてやりたい』と言っていたそうで、多額の寄付を頂きました。有り難く頂戴し、それぞれのホーム で 話 し 合 い 、 旅 行 費 用 等 に あ て 、 お か げ さ ま で 、 と て も よ ろ こ ん で い ま し た 。 先 日 、 小 学 2 年 生 の 女 の 子 が 笑 顔 で 私 の と こ ろ に や っ て き て 「園 長 先 生 、 お 兄 ち ゃ ん に 『あり が と う 』 っ て 言 っ と い て 」 と 言 い ま し た 。思わず 言 葉 に つ ま っ て し ま い ま し た が 、 「あ り が と う 、 伝 え と く ね 」 と 伝 え ま し た 。 今 も 見 守 っ て く れ て い る 兄 ヘ 「あ り が と う 、思いは伝わっています」

 

 

 

↑2021年12月の『ほのぼのカレンダー』↑

 また会える世界、一蓮托生、倶会一処の世界

 

 

⇅2010年5月 FM尼崎『8時だよ!神仏集合』⇅

 のちに『8時だよ!神さま、仏さま』に改題

 地元尼崎のFMで住職と神主、そして牧師さんも

 登場する番組。

 当時、画期的な番組と言われ、ネットでも話題に!

 

〈追加です〉

↓これは、宏林晃信師の法話です。

 『お星さまは知っている』の71ページ~75ページのものです。↓

 

 

 

私が、その「いわれ」を聞くことの大切さを教えてもらった、ある中学校3年生の女の子が書いてくれた「コンプレックスから誇りへ~いのちのあかし~」という、とっても素敵な作文をご紹介します。

 

 私の左手首には、小さな楕円形のアザがあります。小学4年生の時までは、自分の手首に、人にはない奇妙なアザがあると思い、不思議に思っていました。また、同級生に「この黒いのって何?」と言われても何も言えなく、だんだんコンプレックスになってしまいました。学校にいる時は、制服の袖でアザを隠し、普段、家にいる時も腕時計などをして隠していました。

 ある時、爪を切ろうと思い左手を出すとそのアザが見えて、とても気になったことがありました。アザも私の体の一つなのだから、もっとこのアザについて知りたい、と初めてこのアザに対しての答えを求めたいと思うようになりました。実際に、母に聞いてみると、母は私がいきなり、そんな事を聞くなんて、思ってもみなかったらしく、目が丸くなりました。しかし、すぐに真剣な目に変わり、こう言いました。

 

「それは、あんたが生きている印よ」

 

私は母が何を言いたいのか、さっぱり分かりませんでした。口をポカンと開けている私を見て、母は再び、

 

「あんたは2ヶ月も早く生まれてきた未熟児で、体を丈夫にする注射を何本も打ったんだよ。このアザはそのアトなの」と言いました。その瞬間、私は腕時計をはずし、まじまじと左手首を見ました。今まで奇妙で、コンプレックスでもあったあのアザがその時から、生きている印という「誇り」に変わりました。

 

それ以来、同級生から「この黒いのって何?」と言われても、堂々と「私が生きている印!」と言えるようになりました。

 

また、このアザは、母が痛い思いをして私を産んでくれたことのありがたさ、そして、未熟児だった私を大切に思ってくれている両親への感謝の気持ちの印であるように思います。 

 

皆さん、どうお感じになられましたか?

 

  私は「いわれ」を聞くことの大切さ、そして苦悩からよろこびへと展開されていく過程が表現されていると思うのです。

 この子にとって、人にはないアザが左手首にありコンプレックスになっていた。しかし、お母さんからそのアザの成立背景・いわれを聞くことによって誇りへと転ぜられた。いわれを聞かなかったらずっとコンプレックスのままだった。それがいわれを知ることそのままが、誇りへそして両親への感謝の気持ちの印と変わったということ。

 

また、いわれを聞いて誇りへ変わったとしても、アザはなくなりません。しかし、無くならないにもかかわらず、誇りへと変わり、それが生きていくエネルギーに変わっていく。 

 

すなわち「いわれ」を聞くとは、日々の生活の中で、様々な出会いやお育ての中から、今まで見えなかったことが見えてくるようになり、今まで当たり前と思っていたことが驚きと知らされる。損得や分析を超えた「かけがえのなさ」すなわち価値を超えた意味を知るということでありましょう。

(法話CD『まよいとすくい~いつもお念仏とともに3』宏林晃信・市原栄光堂より

 

 

     仏教は心の鏡(回心)

中国の善導大師というお坊さんが示して下さったお言葉なんですけど、「経教は、鏡の如し」。これはお経であり教えは鏡のことなんだ。ある方は「仏教は心のレントゲン」だって言われました。

それでは鏡の効用ってどういうことでしょうか?よく「自分のことは自分がよく知っている」と言いますけど、鏡を使わずに自分の目で自分の顔をちょっと見ていただけませんか?

残念ながら自分の目だけでは睫毛か鼻先しか見られません。鏡を使わずには、おひとりおひとりの素敵な顔が見れないんですよね。笑うとこですよ、大丈夫ですか?(笑)

もうすこし具体的に鏡のはたらきを味わってみますと、三つあるって言われるんですね。

まず、一つが私の本当の姿を映してくれます。二つ目が映すと同時に私に知らせてくれます。そして、三つ目が正すということなんですね。ここを大事にしたいなと思います。

朝起きて私が顔を洗おうと鏡を見ます。まず映してくれます。すると、寝癖がついているなと私に知らせてくれますよね。すると、そのまましているかというと、水か整髪料などで直し正します。映し知らされ正されていくのが鏡ということなんです。

それが仏様のみ教えを人生の依り処として生きていくということでしょう。そこに偽ることの出来ない自分の本当の姿が知らされた時を、「回心」と言います。今までの心模様が一八〇度ひっくり返っていくということです。「自分が自分が」と我を張っていた世界がひっくり返されて、このわがままな私が周りから許され生かされておったなというのがこの「回心」ってことなんです。

これは合掌という姿に象徴されると思うのです。